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大阪高等裁判所 昭和25年(う)974号 判決 1950年8月29日

被告人

朝山一郎

主文

本件控訴は之を棄却する。

理由

弁護人三木通三の控訴理由第二点及び野村英夫の控訴理由第一点について。

弁護人は原審は村田福子の供述、村田愛子の供述及び武原秀樹の第五回公判の供述によつて村田福子が昭和八年七月十五日生の児童であることを認定したけれども村田福子の供述は伝聞であり又措信できないし村田愛子の証言も亦伝聞の供述であり、福子と公判廷に同行したのでその証明力は頗る薄い、武原秀樹の供述は福子の生年月日が一九三三年七月十六日とあり、愛子の七月十五日という供述と相反しておる原判決には審理不尽の違法があると主張するけれども、村田福子が原判示の如く昭和八年七月十五日生の児童であることは原判決挙示の証拠によつて充分に認められ記録を精査してみても少しも審理不尽の違法はない。凡そ何人といえども自己又は兄弟姉妹の生年月日について自らの実験によつて之を知るところのないことは自明の理であり他人より伝聞することにより之を知るに至るのが当然の事理であるけれどもかかる伝聞はいわゆる又聞きによる不正確なものではない、即ち人は此の世に生れると同時に父母に愛育せられ、兄弟姉妹相睦んで共同に生活し日常の経験により智能を増し父母に教えられて自己又は兄弟姉妹の生年月日を知るに至るのであるが一旦これを知るや年毎に正月を迎え年齢の長ずることを相互に悦んで家庭生活を営むのであるから近親の者の生年月日に関する認識は家庭生活の間に於て自然に繰り返えし深められて来た認識の集積したものに外ならない。従つてその認識には何等の編見もなく少しの感情にて左右されることなくして得られたものであつて特に信用に値するものというべきであるから必ずしもその認識の根源に遡つて審査する必要がない従つて、裁判所がその自由な判断によつて心証を得たときは右の供述はそのまま適法に証拠とすることができるのである刑事訴訟法第三百二十四条第二項の規定は他人の供述を内容とする供述の証言的使用を禁示しているが自己又は家族の者の生年月日の認識の如く永年の家庭生活の間に於て自然に集積した各人の認識を供述することは右規定にいわゆる他人の供述を内容とするものに該当しないものと解するのが相当である。本件児童の生年月日について村田福子の証言は本人の供述であり村田愛子の証言は福子の姉の供述でありこれらの供述によると村田福子は村田政治の次女として昭和八年七月十五日京都に生れその後一家は池田市に転住し少なくとも昭和二十二年愛子が嫁入するまで父母と共に共同生活をしていたことが認められるので右各供述は前記理由によつて証拠能力あるものと認められる。弁護人等はまた村田福子は精神薄弱で嘘を吐く性質を有するものであるからその供述は信用できない旨主張しているが村田福子が前にその生年月日につき別の供述をしたことがあるとしても原裁判所は親しく村田福子を取調べた上原審公判期日に於ける同人の供述を信用すべきものと認めているのであつて、その措置につき何等非難すべきかどは見受けられない、なお証人武原秀樹の証言によると福子の生年月日は一九三三年七月一六日、即ち昭和八年七月十六日となつて居るが、右は同証人が池田市で外国人登録原簿を見てなした供述であつて、本人等の昭和八年七月十五日生という供述と一日の相違があるけれども、かかる相違は右原簿の記載に誤りがあつたとも考えられるし、そうでなくともこれによつて原簿の認定を違法視することはできない、原判決は右供述を綜合して右事実認定の資料としているのであるから、これによつて福子が十八歳に満たない児童であることを認定しても少しも差支えはない、そして証拠の取捨判断証拠調の限界は裁判所が法令その他実験則に反しない限り、良心に従い諸般の事情に応じ独立自由に決定すべきところであつて、原審はその審理の結果原判決挙示の証拠を採用しているのであつて、その措置は実験則に反したものでもないから、何等非難せらるべき理由はない、論旨は採用できない。

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